【基調報告1 佐倉のまちづくり活動から】

佐倉TMO 城下町の「みち」再生研究部会
     部会長  小川 勝寛(鰹ャ川園)


皆様こんにちは、私は株式会社小川園、お茶屋でございまして、そこの代表小川勝寛と申します。

今日は市制50周年という事で、午前中に音楽ホールで式典あったのでございますが、その中で市長さんはじめ皆さんがご挨拶で言われておりますのは、佐倉も昭和29年六か町村が合併して市制佐倉市としてスタートを切った事でありまして、当時人口が3万5千、現在は17万7千ですか、約5倍の発展を遂げているという事でございますので大変にすばらしい。
また来年度におきましては、早ければ酒々井との合併ということで20万都市を目指していくという事のようでございます。

私、実はほんと皆様の前でこういうことをお話申し上げるような器でもないわけでございますけども、立場上、商業から見た町づくりとか、正直申し上げまして考え方が、若干切り口が皆さんとは違うとこがあるわけでございます。NPOの皆さんの方が物を客観的にとらえてられることができるのじゃないか。私どもでは、先ほど申し上げましたように商業という日々営業の中で町づくりって、大変に大きな課題を背負っておる訳なんですが、できるだけ地元としてお役に立ちたい、間接的には、私どものビジネスに少しでもプラスになればという事もございますので、担当させていただいている訳でございます。

手づくり工房佐倉の城下町、皆さんも私よりも奥津さんとか、あるいは新谷さん、研究されておりますのであえて私が言うことでございませんけれども、ただ言えることは、私は住んでいるということ、皆さんと若干の違いは、その当事者であるということ。住んでみないと分からないことがある。また、気づかないことも多々あるということなんですよね。

それともう1つですね。その前に1、2分時間をいただいて、私がこのところ考えていますのは、要するに地球全体が、皆さんNPO法人の方がいろんな方で、環境問題で高木さんが中心におやりになっていますけれども、地球が何か新しい波動に入ってる。そんな感じがするんですね。そうすると、地球の中で、日本の存在感とか価値感という、その棲み分けの社会になって来るんじゃないか。
今までは、グローバル的な、何でもこう捉えてきたものが、日本の存在感が地球の中でどのところで生き残る。なんかそんな時代に入って来るじゃないか。そんな気がするんですよね。
新町通り500mの地図
私、お茶屋なんですけどペットボトルの業界に押されちゃいまして、大変苦労しています。そうすると、お茶の急須で飲む社会が、文化が無くなったら、私は日本の社会そのものが崩壊して来るじゃないか。そういうところに逆にスローフードの世界とか、NPOのみなさん方含めて、あらゆる方が立ち上がって来るのは、本物の時代に入ってくるんじゃないか、と言うことですよね。

そういうのを総合的にこう落ち込んできますと、佐倉市の町づくりもですね、先日、今日ゲストの宮崎課長さん、清宮さんいらっしゃる訳ですけども、ある先生がお話いただいたのは、「何で佐倉ってこう評価されるの?」。実は視察の方が沢山見えるですよね。本当に凄いんです。私どもへ来てですね「成功してる、成功してる」。事実、成功しています。佐倉茶屋、手作り工房、生活資料館、ですね。今度はチャレンジショップ、私はうまくいってると思いますね。

それは何故かと申しますと、大変失礼な、行政の方もいらっしゃいますので失礼かもしれませんけど、関東経済産業局のマニュアルに則った事を綺麗に仕上げたのが佐倉なんですね。日本で900箇所くらいやっている訳ですけれども、現実的にはみんな上手くいかない。佐倉上手くいっているんです。ほんと上手くいっていますね。それは担当する方々あるはNPOの方々、ものすごく関心を持って、またボランティアの方々がものすごく関心を持っていらっしゃる訳ですよね。だからそれによって総合的な協働によって上手くいっているんじゃないかと言うことなんで。さてそこまでは佐倉としてすばらしい成功を納めている。

問題は、私の考えはこれからは第2ラウンドに入るんですよね。第1段階はそこはもういいんですよ。この第2ラウンドが難しくて今日の話だと思うんですね。第2ラウンドというのは私個人の考えなんですけれども、先ほど言いました棲み分けの社会になってくると。佐倉は、千葉県の中の棲み分けでどういう所で存在感を高めるかと言うことがね、私は大事ではないかと思う。そこに他の地域との差別化であって、そこが今言われてますように地域間競争が起きているわけですね。日本の中でも世界の中でも競争が起きている訳です。

今、流通、昨日行ってきたところは、トライアルカンパニーと言うのが酒々井のダイエーの跡に出るんですね。ネクタイ1本78円ですよね。ですからそう言うお店がガーッと出るわけですよね。そう言うところと戦っても合わないし、佐倉には私はそういうディスカウントストアーよりももっと佐倉の町に合った、そういう大型店は必要ではないと思っているわけですけれども、いずれにしても棲み分けの世界の中で存在感を高めていく時代が来たし、またそれが佐倉の第2ラウンドだと思うんですよね。私はそういう具合に考えるわけです。

そういうことで、そうしますと私もこの道の問題、TMOの関係もやはり温故知新ではありませんけれども過去の流れを良く知って、その中で残すところは残していかないとね。いい所は長所進展法ではないんですが、いいところは私達の店もそうなんですが、得意とするところを伸ばしていくしかないじゃないかと。私は今そう感じて、担当しておる訳です。

ただ私ありがたいことに佐倉は歴史、文化というのがありきたりの言葉ですけどありますので、それをサポートする方とか、それからそれに協働して、凄く高い関心を一般の方が持っていただいているんですね。それは私は先人に感謝だと思いますね。これはそれぞれ住んでみると佐倉に対してものすごく高い意味、たとえばわたくし佐倉カントリーのメンバーでゴルフやるんですけれども、佐倉カントリーで佐倉に住んでゴルフをやりたいから佐倉に住みたいとかね。それで住んでみて良かった。ものすごくこう言う声が聞かれるわけですね。そんなことで佐倉にはやはり私ども商業者と行政とそれからNPOの方々、住民の方々、ものすごくこうマッチングできると言うのが佐倉、他所の町とはそれが違うところがあるんじゃないか。私はそういうことで大変感謝をしています。

でも残念ながら商業としては衰退しておりますので、とても残念に思いますけれども、これは大店舗法が平成9年に立地法に変わったんですね。大店舗法が立地法に変わったから大型店は自由に出られるようになった。自由に出られますと中心市街地はみんな衰退するのは当たり前なんですね。私は個人的に前から大きな声でいったことあるんですが、でもお蔭様で今年に入ってから日経見ておわかりになると思いますけども、大店舗法の見直しが始まったんですね。自由に周りに大型店が出て中心市街地が活性化できませんよね。

で元気のあるやつがって言ったって、元気にやろうと思ったって風邪を引いて具合が悪いんですよ。肺炎状態、商店街におきているんですね。肺炎状態でやる気のある人、やる気になれますか裸で、それで肺炎がおきて、外に出れば冷たい風ですからね、当たると死ぬのは時間の問題のわけですよね。

そこで私はやはり先ほど申し上げましたけれど、皆が存続して上手に町を活性化するのは難しい、本音のところは難しいと思うんですね。それぞれの先ず店がそれぞれの力を出して今の時代の変化に対応していかなければいけないですね。それしか残れない。自助努力しかないじゃないか。それははっきり、私はそういう感じを申し上げたい。

いずれにしてもそういうことでありましてTMOが平成13年に実施計画、基本計画は12年。私が担当しているのは金毘羅ふれあい市なんですね。この金毘羅ふれあい市を担当しているわけですが。

チャレンジショップチャレンジショップ・サクラ、これは栄町ですね、この間オープンしたんですが、もうはや一年近くなる。一年近くなるんですが出た方はすごくやりがい、やる気を持っていましてね。どこかに出店を、店出したいって言うんですね。
でも他所の地区でやりますと上手くいっているところはないんですよ。でもね私どもとしてはこのあいだ会議の中で私が言ったのは佐倉は佐倉、第2ラウンドに入るんですよね。1年過ぎたから「はい、さようなら」、後は野となれ山となれではなくて、この中でやる気のある方に対してTMOとして、後2年間ぐらいは一部サポートして佐倉なりの成功事例を作ってやろうじゃないか。モデルを作ってあげないとですね。
ただ事務的に「一年経ちました、やる気ありますか」「いや難しいですね」「じゃ駄目です。はい次の方どうぞ」じゃ、これではこの方々にも申し訳ない。私は成功例をつくってやろうということで、この中の2店舗の方が成功しているようですので、この方の、TMOとして2年3年サポートしてそれで密に打合せを会議所としながら、成功させるべく例をつくっていきたいと思うのですね。

(スライド:金毘羅ふれあい市)金毘羅ふれあい市
これからPCに合わせて話しますと、あと金毘羅ふれあい市。これは大正時代からですね、金毘羅の菩提寺堀田様の菩提寺と言うことで賑わいを毎月10日、縁日やっておりまして、私これを仕掛けたのはですね、結局TMOやってもの何をどうしたらいいか分からないわけですね。そうするとまだ火種が残っているのは実はこれなんですね。ということは毎月10で縁日があります。
昔は1日6000人くらいの人の流れがあった訳ですね。

これも1611年くらいですか、土井利勝が大佐倉からこちらに築城、佐倉城を造ったわけです。そのときに今のこの道路は、当時は車もありませんから人の流れと荷車って言うんですか、そうした道なんですよね。その後に車が来てこういう社会になってバイパスができる前は、あそこの歩道、今は90cmか約1mくらいですね、若干高いの、あれもできたと言うのは、今は批判してますけども、あれは当時ですね昭和50年ごろに造っておったんですね。その昭和50年ごろにはアンケートとったらバイパスがないから車がものすごく危なくて、それで必ず歩道とあれを分けてくれと言って、行政と私どもが負担して造った。昭和50年に造っておったんですね。

それが今は逆に非難となって、新しい、それはそれなりの時代の変化と思って、歩道すら変わっていくわけですね。15年に市に移管され18年に道路建設課が何か歩道を見直していこうということで、今私ども道の再生委員会ができて、私地元に住んでいるんでやるわけですが。その中には新谷さんとか奥津さんなんかも技術的に物凄いものを持っている。
私どもはそういうノウハウ何にもない。でも住んでみるといろんなことが起きる訳ですね。

佐倉市美術館前のインターロッキング舗装(スライド:美術館前のインターロッキングブロック場の歩道)
たとえばこの後に美術館ですか、美術館の前(の写真)どっかあります?美術館ですね、はい、これですね。これすごく私どもね単純に言うと、すごくすばらしいと思うんです。

ただ生活者から言いますね、これね、年配者の方がこう引いてきますね、あれゴロゴロってこう何ていいますか引いてきますね。あれしますと、レンガとレンガの間が空いていまして、そこでガタガタ揺れるんですって、あれは駄目ですよって。そんなことって私達気が付きませんよね。ただ目で見て綺麗で、ただいいな、綺麗だなって事ですよね。まあそんなことがあるわけ。それひとつにしてもやはり住んで、あるいは生活をしてみないと分からない点があるってことですね。

ブラスバンド話は前後しちゃいますが、私の方でTMOの金毘羅縁日の方も、当時は6000人の人が出ていたところに私どもとしては、まだ2000人くらいの人は毎月10日に出るんです、おばあちゃん達が。じゃまだそこに火種が残っているんじゃないか。その火種にまずできることから火種に火をつけて行こうじゃないかっていうことで始まったのが13年の7月頃ですね。

そのへんから始まったわけですけれども、多分イベント関係。これどこの学生さんたちに頼んだのかな。あのやはりイベントをですね毎月やっていこうと、お蔭様で今公民館などでいろんな方々イベントやってますが、そういう方々に声を掛けています。そうすると是非という事でハワイアンやったり踊りやったり、いろんなことやるんですが、また我々もっと面白い企画するためには一回に最高2万円の予算、一回最高2万円ですね。中村さんにお願いして子供たちの踊りありますね、よさいこいソーランなどもやったりして、たいへん好評を得て。毎月10日をイベントを仕掛けておるわけですね。

それとTMOの予算を若干いただいて新聞の裏側をTMOニュースで表側を私どもがスポンサーになって、共同によってチラシを入れていくと。11月の10日は、10月は休みしましたのでまた11月、12月やっておるわけですけども、いずれにしてもそういう仕掛けをやりながら、今、点となっている生活資料館とか手作り工房ありますね、それを少しでもメインに持っていきたいと思いますね。

先日も話したんですが、もうやることは第1ラウンドは終わっているわけです。第1ラウンド終わってこれから第2ラウンドに入る。第2ラウンドっていうのはその町の特性とかそれを活かすのが第2ラウンドなんだと思うんですね。

500mの通りを一望できるさあそこでこの道に入るわけですけれども、この通りですね。この通りがですね約500mなんですね。この500mなんですが、まずそこのところを、行政の今日課長さんみえておりますが、まちづくり、それから道路建設課も歩道を改修したいってことで、平成18年から予定されておりますので私ども担当委員会がある訳ですけれど、すごく難しいんですね。それは生活者と商人とそれから客観的な見る目というのがね。第2ラウンドに入りますとね、第1ラウンドではいろんな意見が出ていいと思うんですが、第2ラウンドは私はこの町として、この通りのね、コンセプトをきちっと作るべきだと思うんですね。こういう佐倉は、こういう通りはこういう町なんだというコンセプトをきっちと創ると、それしかないじゃないかと思うんですよね。

そうするとそこの車道が今7.5mくらいですか、それの段差が付いているのをフラットにしていこうとか、いろいろと行政も考えているわけですけれども、私どもとしてはここに問題は、お祭りの問題で段差をつけますと山車が行き来できなくなることもあるわけですね。

それで今私個人的には、申し上げていましたのは、皆さんと若干違うのはこれを一方通行ですね。こことこの間の場所をここのところと市立美術館のこちらありますよね、お囃子館とこの場所を一方通行にして、そこで片側駐車、当然フラットですよね。片側駐車にしてみたらという声がありまして、私も今の消費者の動きも、例えば印旛支庁の跡地に車をとめてそこから歩いてですね、果たして買い物していけるだろうかと。今の消費者の動向を見ていますと、歩くといっても、健康であるというのもよく分かるんですけれども、やはりお店の前に車を止めて買い物をするということですね。

佐倉TMOマップそれとこの町の回遊性、ミニ観光ですか、佐倉は観光じゃないんですよね。観光、観光っていうと大上段に構えちゃうんですけど、ミニ観光都市なんですね。では歴史を散策する人が来る訳ですのでそれなりの対応の仕方でいいと思うんですが、いずれにしても歩道と車道を分けなくちゃならないんですが500mですので仕掛けてみると素晴らしいね、一望に500mが見渡せますので素晴らしいね、私は街ができると思います。

そのためにはこの街のコンセプトを決めていくと言うことがやはり大事だと。コンセプトはじゃどういう事だ。それはいろんな方が見方は違いますが、歴史だ城下町だ文化だ、それも大事なんですが、まず一つ言えますのは、回遊性で観光だって良く分かるんですが、観光立国だ日本はどうだこうだ、千葉県は菜の花だとかわかるんですが、それよりも私ども、あるいは皆さん住んでいる人達が満足してなくては駄目だと思うんですよね。住んでいる人たちが満足すれば「うちの佐倉っていいところだよ」「来たらぜひ案内してあげますよ」「あそこ行ってみな」「ここ行ってみな」そこからスタートすべきだと思うんですね。
それを「行政に頼んでハードだ」「国がやってくれない」「市がやってくれない」とかそういうんじゃではなくて、そういうものハードもソフトも含めて、やはりお互いが協同することによって、私はこの通りはすばらしいまちが、500mのストリートとして良いまちができるんじゃないかと思うんですよね。
そう言うことでまず住む人たちが自慢ができるまち。

そうすると具体例で言うと、じゃあお年寄りに優しいんであれば徹底的にお年寄りにやさしい、歩道を含めてですね、なんだということを、やれ道の研究会で勉強していって、これだと。そういうことによって全国から視察に来るぐらいな、やはりこのストリートをつくっていっても良いんじゃないか。そのためにはやはりコンセプトをしっかり持っていくということと、佐倉は、最後になるかもしれませんが、佐倉はNPOを含めて有識者の方がものすごく多いんですね。そういう方々がすごく佐倉に関心を持って、すごくサポートしたり、あるいはボランティアやったり、生活資料館なんか殆どボランティアの方々が動いているわけですからね。そう言う方々によって佐倉っていうのはすごくこう、なんですか、支えられる所がある訳なんですね。

そういうことで私としては、まずこの500mの通りをですね、コンセプトをしっかり持った道づくりというものを。それについては11月の7日にですね奥津さん、新谷さんの方で作っていただくワークショップによってシミュレーションいろいろしてみますのでね、その中でどれがいいのかはこれから議論をして行くべきじゃないかと思うわけです。まあそういうことで最終的には京成佐倉と上の通りは一体になるんじゃないかと。それから下の方についてはちょっと無理じゃないか。JRはJRとして生き方があって上の通りと京成がやはり一体化になって来るんじゃないか。そのように感じられます。

最後になりますけれども、やはりいろんな地方分権で予算的なものもありますので、やはりこういう提案は私どもの方からドンドンしていきながらですね、やはり住んでいる人たちが住みやすい町。それには具体的に何が何だ、何がこうなんだ、ということを作り上げて、いろんな方々の視察を佐倉に来ていただければ、そこに商業と回遊性が生まれるわけですよね。まあそんなことで私は今のところ大した力じゃないんですけれども、そう言う考え方を持って進めておるということでございます。

最後にもう一つ、コミュニティバスが早く必要じゃないかという気がするんですよね。JRから京成、上に行くんですね。京成からJRに行くのにやはりひと山、馬の背でありますのでね。できたらコミュニティバスを行政の方で考えていただければ、これはもっと回遊ができるんじゃないか。そして下の方も上に行けるし、上の方も下に行けると、そういう回遊ができるんじゃないかと思うんです。

それともう一つは、今年の11月10日予定であそこにディスカウントストア「トライアルカンパニー」ていうんですか。11月10日にオープンします。ダイエーの跡にですね。来年の秋にはいま区画整理をやっております突き当たりのところですね、あそこにベイシアというね、ディスカウントストアができます。ディスカウントストアが2軒できますね。それがガンガン競争してやってきますと。この通りもまるっきり変わりますね。これ商業やっていけませんから。

そうすると私ども住んでいる住みやすい町でも、商業にはマイナスになるように成るわけですね。そうするとそこで言いますのは、残るべき商店は自助努力の中で残っていって、この通りのコンセプトはですね、はっきりと、逆にはっきりして来るんじゃないかと思いますよね。そこでやはり Plan Do See じゃ有りませんけども、進んだ時にやはりちょっと立ち止まって回りを見てみる。そして練り直してからまた進んで、それからそこでストップしてやる。そう言う必要があると思います。

佐倉は逆に遅れただけにうまくいっているんですよね。早めに行った場合には後でやられちゃうと崩れちゃいますけども。まあそんなことがありますので、私どもとしても来年ですね、四街道の駅前にはまたヨーカドーができて、今のヨーカドーの跡地にはちなみにダイソーが出るっていうんですからね。そうしますと動きがまるっきり変わっちゃいますので、消費者の動きが変わりますので、それによってこの町をどうすべきかということが逆にわかって来るんじゃないか、そんな風に感じております。
ありがとうございました。